コラム

遊びと子どもの世界「遊びに潜む民俗②」

ライター:草場 純

 「今年の牡丹」は「あぶくたった」(ゆうもりすと2010年12月号本コラムで掲載)よりももっと忘れられた、既に失われたと言ってもそう間違いでない遊びです。ただ失われるのがあまりにも惜しい遊びでもあります。

 全体は六つに分かれています。
1.コドモ達が輪になって遊ぶ
2.オニが現れて問答をする
3.オニを含めてコドモ達が輪になって遊ぶ
4.オニが「帰る」と言って再び問答になる
5.オニをコドモが囃す
6.鬼ごっこになる
 案外複雑な構造をしているのですが、要するに鬼ごっこであるわけです。しかし民俗と重なるのはその前遊びに当たる部分なのです。

 1や3の輪になって回る部分ですが、「♪今年の牡丹はよい牡丹、お耳をからげてスッポンポン、もひとつからげてスッポンポン」で耳をからげるのは、蛇よけ、とも魔よけとも言われます。オニはそれで理由を作って帰るのです。

 そもそも鬼ごっこは、民俗学に言う感染呪術の雰囲気があります。オニは、悪霊であり、「穢(え)」であるわけです。その穢は、接触によって憑依感染します。オニに触られたコドモがオニになり、オニは穢を染すことによって、コドモに戻るわけですね。こうした穢は、観念上のもののはずですが、子ども達の遊びの中でも、民俗のなかでも共同観念として実在化するのです。

 実は、「今年の牡丹」の中では明確に表明はされませんが、オニは蛇の精であるのです。穢は蛇精として形象化されます。その証拠に姿は人間に見えても、影を見たり、後ろから見たら蛇そのものなのです。だから5で、「♪だれかさんの後ろに蛇がいる」と囃されることになります。この遊びでは、囃されるたびに「わたし?」「違うよ。」「ああよかった!」という問答が二度繰り返され、三度目に「わたし?」「そう!」で、6の鬼ごっこが始まります。そこにはクライマックスにむけて緊張を高めていく効果とともに、オニとコドモとの距離を物理的にも心理的にもとっていく工夫があります。

 現代のボードゲームにもそうした印象を与えるものがあります。例えば「ミッドナイトパーティー」などは、単なるサイコロ遊びを越えた独特の興奮とスリルをもたらしますが、それはこうした心の深層の民俗学的感覚を呼び覚ますからかも知れませんね。

初出:ゆうもりすと2011年1号


ページのトップへ戻る