コラム

遊びに潜む民俗⑩

ライター:草場 純

 柳田國男は、年始に行う花札や百人一首のようなカードゲームを、「占術の零落した物」と考えたそうです。何を証拠にそんなことを言うのかと思いますが、トランプやタロットが占いに使われるのは確かですね。少なくとも現在の日本では。

 そういえばカードのことを日本語では札と言いますが、これは「お札」のフダでもあります。 カードを引くのは偶然の結果を見るのですから、籤のような側面があります。一方お神籤は、神意を問うくじ引きであるわけです。偶然の結果にゲームとしての意味づけを読み取るのか、神意を読み取るのかは、文字通り紙一重なのかも知れません。

 フレーザーによると、呪術には類感呪術と感染呪術があるそうです。 子どもの遊びでも、ままごと遊びなどは大人の道具や仕草を真似て、大人の社会を疑似体験しようというのですから、類感的です。そうしてみると一部の玩具なども、類感呪具に見えてきてしまいますね。 一方、鬼ごっこは明らかに感染呪術的です。オニの持つ「鬼性」のようなものを接触によって染してしまい、自分の「鬼性」を払うわけです。

 巫師(シャーマン)にも、脱魂型と憑依型があるそうですが、「鬼性」は子どもから抜け出し、ほかのコドモに憑依するともとれます。こうした憑依の遊びには「エンガチョ」があります。これはゲームとは言えませんが、広い意味の遊びとは言えそうです。 実際には、誰かが汚いものに接触したら(例えば犬の糞を踏んでしまったとか)、みんなで
  「エ〜ンガチョ、エンガチョ(繰り返し)」
と囃したてるのです。するとその子は「エンガチョ性」のようなものを帯び、それは接触によって他人に移すことによってのみ、払うことができるようになるのです。この辺はゲームのルールみたいですね。 ところが、ほかの子どもらは、
  「エンガチョ切った!」
と言って指で輪を作り、左右の輪を一度つなげて切る(所作はいろいろある)と一種の聖域を形作れ、エンガチョを移すことができなくなります。今の子に言わせれば゛「バリヤー」ですね。これも呪術に対する「清め」を連想します。

 でもこうしたものは、柳田の言うように大人の呪術の零落したものなのでしょうかね。私には逆に、子どもの「遊び」を単に複雑化したのが、大人の民俗に思えます。

初出:ゆうもりすと2013年3号


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